交流会(2)

交流会2日目はうどん作りをした。船に乗って全盲ろうの若い女の子、介助の人、弱視難聴の人も加わり賑やかに作ることになった。

場所は社協の調理室。実は、きちんとしたうどん作りを知っている人は誰もいな~い

スーパーでうどんの粉を買い、分量、作り方をみながらだ。そして、社協の事務局長が友達からソバ粉を調達してくださった。それこそ、だれも経験がな~い。

なんとかなるさ!

粉を練り、ゴミ袋が丈夫なので練った粉を入れ、上から思い切り踏み付け、皆、日頃のストレスを発散させた。おかげで、こしのある、うどん、ソバになったように思う。

ゆでている間、それぞれコミュニケーションをはかっていた。

そして、いよいよ食べる。ぶっかけうどんにし、皆、思い思いに具を乗せ(きざみねぎ、シソの葉、大根おろし、てんぷら、おろし生姜)食べた。

最初、ソバを口に入れた。オ イ シ イ !次にうどんを…これまた オ イ シ イ

皆、おかわりをしていた。

良かった!どんなものができるか、不安だっただけにとてもホッとした。

これなら家でまた作ろう!という人もいた。

皆で作ったものは本当においしかった!

作ったうどん、ソバの写真をろうと思っていたが、気付いたら食べた後だった。残念!

翌日、1日目の夜、いままで何回も会ったことがあり、外出も一緒にしたことがあり、気持ちが通じていると思っていた視覚障がいの人の食事介助をしていて感じたことを、高校生の女の子が来て、こう言った。

「食事介助するたびに、すまんな、すまんなの連発がとても悲しかった。私は、ありがとう、すまんな、を言ってもらいたいためにしているのではないのだけれど、あんなに何回もそういう言葉がでてくるのは、今の社会がそう言わせているのだろうな。私もその中の1人だけど、そういうことがなくなる社会をつくりたい。」と真剣に涙を浮かべて語った。

また、ある子は

「自分は友達、信頼関係があると思って介助をしていて、ありがとうの連発されると、信頼関係ができていないのかなという寂しさ、悲しさ、距離を感じて辛かった。」と…

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この記事へのコメント

  •  そば、うどん作りをつうじての交流の様子が目に浮かびます。それにしても珠玉のようなことば「ありがとう」も、ある社会関係のなかで言われれば、別の意味をもってくるという指摘には考えさせられます。先日病院で治療中の隣の患者があまりにもひんぱんに医師と看護師に「ありがとう」を連発するので、ちょっと卑屈さを感じました。そういわないとよい治療ができないと考えているのでしょうか?また付け届けしなければ、いい治療をしてもらえないとすれば悲しいことです。わたくしが入院したとき先回は4人部屋で0円でしたが、今回は2人部屋で500円、中には個室で1日2万5000円という部屋もあります。お金がなければ、ますますすみにくい世の中になっていきそうです。それが一方で傲慢と他方で卑屈の感情を生み出しているのではないでしょうか。
    2006年08月26日 23:09
  • おるがん太郎

    ストレス発散でおいしいうどんとそばができたんですね
    ☆誰も作り方を知らなくても「なんとかなるさ!」でやってしまえるのはすごいですね~♪
    いつもブログを読んでいると、
    若い方たちの素直で豊かな心を感じます。
    「健常者」が住みやすい社会は
    「障がい者」は住みにくいけれど、
    「障がい者」が住みやすい社会ができれば
    みんなが住みやすくなっていくのではと思います。
    2006年08月27日 01:06
  • 大久保

    やはり交流会には参加者全員で何かをつくり、それをいただく…ですよね!

    「ありがとう」「すみません」の問題は、それほど気にする必要はないと思います。健常者でも何かしてもらったら「ありがとう」「すみません」「お手数かけました」「お世話になりました」って使いますよね。けれども、最近、この言葉たち、あまり使われなくなっていますよね?世の中全体が他者とのコミュニケーションがうまくとれなくなってきているのではないでしょうか?何かしてもらったら、お礼を言うのはあたりまえなんですよ。これは障がいの有無に関係ありません。障がい者だからしてもらうのがあたりまえ…なんて考えてしまう人は、社会に対して甘えがあるのです。でも、友達になれたと思って介助したのに「ありがとう」と言われた学生さんはショックだったでしょうね…。因みに私も、友達にも、家族にも、市民活動をしている仲間にも、何かしてもらったら「ありがとう」って言いますよ。
    2006年08月27日 06:43
  • kyoukotan1951

    真さん、「ありがとう」にはいろいろな意味、思いがありそれを言う側、受け取る側、聞いている側で皆、微妙に感じ方が違うんですね。むつかしいなと思います。私も「ありがとう」は言いますが、連発は...
    私が入院している時、同室の人たちが皆、「医師に付け届けをした、それによって、医師の態度も違うようだ」と言うのを聞き、その気のない手術前の私はとても不安になりましたが、付け届けをしなくても、医師の態度は変わらなかったように感じています。医師はお金に関係なく治療に専念してくださると私は信じていますが、本人、家族の命がかかっているから?この風習はまだまだ続くように感じます。
    2006年08月27日 09:31
  • kyoukotan1951

    うどん、そばを踏みつけるとき、本気で声を出して「えいっ、えいっ」と足をあげている人もいました。
    私はある程度の下準備はしますが、それから先は、行け行けドンドンです。そうしないと、前に進まないですからね。
    若い人達は素直な優しさを持っていると感じます。
    おるがん太郎さんは素晴らしい賜物を持っていると思います。頑張ってください。
    2006年08月27日 09:42
  • kyoukotan1951

    若い子達が悲しく、寂しく思ったのは「ありがとう」の連発だったのですが、そのことについて、視覚障がいの人と少し話しをしました。最初はお互い話しが食い違い、感情的になりかけましたが、「どこに出かけるにも人の手を借りなければならない自分は、今まで、ありがとうを言わなければ、承知しないような高慢な態度の人、してあげているという偽善者と感じる人がほとんどだった。言いたくないけど、ありがとうをいわざるをえなかったし、ありがとうというように躾されてきた。しかし、若い子はそういう人達と心が全く違うのがわかる。だから自分の心からのありがとうが連発になった」と...私はどちらの言いぷんもわかる。このことは若い子に伝えたいと思う。
    以前、他の視覚障がいの人が何回も、何回も私達に向ってこう言ったのを思い出した。「本当に信じてもいい?本当に信じてもいい?」
    視覚障がいの人で1人で外出できる人もいますが、私の周りは人の手を借りなければ外出できない人が多く、それには、お金が必要。だから、若い子達の心が本当に嬉しいのだろう。ありがとうに込められた意味をお互いに理解する必要があると感じました。 
    2006年08月27日 10:15

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